「あ、おかえりなさい。」
エレベーターが来るのをボンヤリ待っていると、背後から声をかけられた。
フルるんだった。
「そういえば、修学旅行だったのですよね。沖縄、どうでしたか?」
ふるるんはボクのバッグに一度視線を落としてから、ボクを見て微笑んだ。
「うん、とっても楽しかったよ! 天気もずぅっと良かったし」
彼女の笑顔に応えるように、ボクもにっこりと笑った。
居住階に着くと「それじゃ、またあとでね!」と一旦別れて自室に戻る。
というのも、フルるんから、後で部屋に遊びに来ないか、と誘われたからだ。
ちょうどいい。バッグの中には、紅芋タルトを一箱入れておいたので、それを手土産にしよう。
4日間締め切っていた部屋は、独特の熱気が篭っている。これはたまらない。
ボクはまず、ガスコンロの上の換気扇を回してから、部屋の奥の窓を開け放った。
天気は思わしくないけれど、幸いまだ雨は降り出していないし、篭っている熱気に比べたらずいぶんマシなんだもの。
「ふぃぃ~」
床に両足を投げ出して座ると、もはや汗なのか湿気なのか、足と触れる床がペタペタしていて、少し居心地が悪い。
うぅむ。いっそ麻かイグサのラグでも敷こうかなぁ。少し部屋の雰囲気も変わるかも…
そこまで考えて、ボクははっとする。
毎年、夏を迎えるたびに、ほぼ同じことを考えていることに気づいたから。
今年もきっと、買おうかな…って思うだけで、実行に移すことはしないだろう。
じっと耐えていれば、夏の暑さなんて、そのうち和らぐから。
さて。
空気もばっちり入れ替わったことだし、ぼちぼちフルるんの部屋に遊びに行こうかな。
ゆらゆらと、カップから湯気が立ち上っては、空気にほわんと溶けていく。
カモミールの、りんごに似た少し甘い香りがかすかに鼻腔をくすぐる。
「エントランスの紫陽花、今年も見事ですね」
フルるんがふと思い出した一言で、
あぁ、そうだ。フルるんがここに越してきてから、ちょうど1年が経つのだなぁ…と気づく。そうしてひとつを思い出せば、芋蔓式に次々と戻ってくる記憶。
彼女は去年が修学旅行で、行き先は沖縄だったこと。
土産に貰った雪塩ちんすこう、紫陽花会館の屋上で、仲間と一緒に食べたこと。
くるくると場面が変わるように思い出すことたち。
「また、皆でのんびりお話したいですね」
フルるんがまた、ポツリと呟く。今まさに、嘗ての紫陽花会館の面々を思い出していたボクは、仕切りなおすと言ったままにしている屋上(自分は時々、今でも屋上に上がり、空や風を眺め過ごしていたけれど)を思って、申し訳なくなったけれど、フルるんには別の思惑があっての一言だったらしい。
「実は」
彼女が言うには、ともだちが海の見える丘に建つ家を借り受けて、仲の良い者同士で集まれるよう、色々と準備をしているそうで、フルるんもそこに誘われているということだった。一足先に、まいおも行っており、準備を手伝っているそうな。
「わぁ、良い話じゃないの」
程よく冷めたカモミールティを一口飲んで、彼女の背中を押すようにボクは笑う。
「それで」
話は、だか、そこで終わりではなかった。
フルるんは、ボクにも、良かったら一緒に行かないか、と言ってくれたんだ。
まさかの展開!
「え?ボクも一緒してもいいの?」
びっくりしちゃって、多少口をパクパクさせたボクを見て、フルるんは少し恥ずかしそうに笑いながら頷いた。
「えぇ、その方が楽しいと思うんです」
そして、一人で飛び込むのは勇気が要るから、ボクも一緒だと心強い、とも言ってくれて。
そこが彼女のやさしさなんだと思う。
そのやさしい気遣いが嬉しかったりして、ボクは少しばかりうへぇ…と破顔し、頭を掻いた。
新しい隠れ家とか、新しい出会いとか。
ともかく新しいものには期待が付き纏って。
その期待はいつも、ボクをうきうきさせるんだ。
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