月明かりは、細かい作業の手元に充分とは言えない明るさだけれど、それをものともしない確かな指運び。少しずつ出来上がっていく花にボクは目を細めた。
「案外と、器用なんだな」
ボクは川音に紛れるぐらいの小さな声で彼に話しかけ、くすくすと肩を揺らす。いつも大きな声で、明るくてまっすぐな性格。ともすれば豪快。そんな普段の彼からは想像しづらい今の姿。だからこそ、ボクは……
「ん?まぁな」
近づきすぎて直視できなかったけれど、彼が笑む気配だけを感じ取る。今はそれで充分だと思った。
彼が作ろうと決めた花は、彼の好きな花、紫陽花。
その偶然にボクは少し驚いた。
紫陽花はボクの好きな花でもあったから ── まぁ、ボクはほかにも好きな花がたくさんあるのだけれど ── 自分が好きだと思うものを同じように好きだと言ってもらえると、やっぱり嬉しくて。
紫陽花は、ハリのある大きな若緑色の葉に雨粒が滑るのを見るのも楽しいし、その葉に蝸牛が乗っかっているのも可愛くていい。
「心変わり」だなんて花言葉をつけられても、雨の中で咲くさまはなんだか虹のようでもあり、安心感と淡い希望とを与えてくれるように感じるから。
彼が手を動かしたまま語るのは、他愛もない世間話みたいなものかもしれない。
だけれどボクは、こうして話を聞かせてもらえるだけで嬉しかったから、終始にっこりと笑み、相槌を打っている。
ボクは…といえば、彼に聞いてもらえるほどの過去など持ち合わせていない。覚えていないという方が正しいのか。いずれにしても、ネタがない。
思案した挙句、今日という日が二人で振り返ることができる素敵な想い出になればいいと思い至って。
……だけれど、その願いを口にすることはできなかった。
ボクは意気地なしだ。
自分が情けなくて、しょうがなく笑ってしまう。
けれど、彼はそんなボクの笑みに気づくと、やさしい眼差しと微笑みで応えてくれるのだ。
気づいているんだか、気づいていないんだか本当に良く解らないけれど、
時折、ボクに見せてくれる彼の気持ちはあまりにもまっすぐで、そのたびにボクは驚いてしまう。
そんなことを言ってしまっていいのかな…
今のボクは、彼の言葉を信じることができない。
信じてしまうのが怖くって、心のどこかがブレーキをかけているみたいだ。
最初の、ほんの小さな一歩すら、踏み出すことができないでいる。
もし彼の言葉を、素直に受け止められたなら、ボクは幸せになれるのだろうか…。
けれどやはり、彼のまっすぐさが、ボクを救ってくれているのも、動かしがたい事実で。
空は深い藍。
月の青白い光。
黒の水面。
渡る風はどこまでも透明で碧く。
その瞳は、おひさまのいろ。
あなたのおかげで、
世界にはこんなに彩があふれていたんだと、
思い出せたんだよ。
…ねぇ、いつか。
いつかボクも、あなたのように自分の気持ちにまた、まっすぐになれるだろうか。
その時は、どうぞ、あなたが隣に居てくれますように。
今は手のひらに包んだ八重咲きの白い花だけが、ボクの本当のきもちを知っている。
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