今日の分の勉強を終わらせたボクは食堂でミルクティを淹れてきて、久しぶりに音楽を聴くことにした。
最近、音楽をまったく聴いてなかったことを思い出したのだ。
今イヤホンから流れてくるのは、大好きなアーティストの一番新しい(と言っても1年ぐらい前にリリースされた)アルバムに収録されている一曲。
話は変わるが、香りの記憶があるのは有名だと思う。
たとえば樟脳の匂いは、おばあちゃん家のたんすの記憶、とか。
そういう、いつもは思い出すこともないほど小さな記憶の断片が、香りによって瞬時に、そして鮮やかに甦ることってあると思う。
それは音楽でも同じようなことが言えるんじゃないだろうか。
特にボクは、その時々の流行とは一切関係なく、気に入った音楽を飽きるまで(飽きないものも多いけれど)エンドレスリピートで聴いてしまうので、結果、その時期にはそれしか聴いていない、ということもままある。そして、特に時期を同じくして強く感じていた感情なども、その曲とともに記憶の奥深くに織り込まれてしまうらしく、曲によっては、そのころの感情が突然、ぐわっと蘇ったりする。
そうやって唐突に甦る感情は大きくうねる荒波のようにも感じられ、色抜けているぶん、妙な具合にボクを揺さぶるのだ。
今日、なんとなく聴きたくなった曲は、一時期バカみたいに繰り返し聴いていたものだった。だって、お気に入りのアーティストの最新アルバムだったんだものな!
うゎぁ、懐かしいなぁ!
そんな小さな感動さえ覚えるほどぱったりと聴かなくなっていたことに、今更ながら思い至る。まぁ、いろいろ理由はあるけれど、あまりにも聴きすぎて食傷気味だったことも否めない。
流れてくメロディと共にぷかりと浮かんできたのは、記憶、それからそのころの想いの残滓。
確かにあのころ、こんな風なことを思ったり考えたりしていたよなぁ・・・
現在の想いとはかなりの温度差があるそれは、ボクを少ししんみりさせる。
でも、そうやって思い、悩み、手にした考え方は、間違いなく今のボクを形作る血肉となっていることもちゃんと理解ってる。
何一つ、無駄はないんだね。
ボクは目を閉じた。
やわらかくやさしい声は変わらず、メロディに乗ってボクの心に沁みこんでいく。
ミルクティの入ったカップを両手で包むとじんわりした温かさが伝わってきた。
冬の空に浮かんでいる十六夜の月が、カーテンのすきまから覗いている。
あの夜から、もう数えきれないほど何度も満ち欠けを繰り返してきた月。
──そうか、もう数えきれないほどになったんだなぁ。
過ぎてきた半年は、長かったようで短くて、満ち足りた日々。
それでも変わらず、今もなおボクの中に、満ち満ちる。
PR