風の強い土曜日の、白銀寮201号室。
ボクの提案に、彼はふむ、と一瞬の間を置いて、ぱっと顔を輝かせた。
「いいね、それ!」
彼の大きくてよく通る声と笑顔は、ボクにとびきりの安心感をくれる。ボクは彼の笑顔に答えるように破顔したものの、
「けど、星のことはあまり詳しくないから」
教えてくれるか?と傾げた彼の言葉に、頬をひきつらせる。
教える、と言っても。
ボクだって、有名どころの一等星ぐらいならなんとなく判るけど、それはあくまで「判る」程度だ。そも、判っている(と思っている)星が本当にそうだという自信はどこにもない。
いいよ、と頷くにはあまりに自分の知識は薄っぺらくて。
「ボクもあんまり詳しくないから、あんまり期待しないでな」
苦笑いして、彼がコーヒーの入ったマグに手を伸ばした瞬間、さりげなく壁の書棚から一冊の大きな本を取り出した。
星・星座の本。
雑誌を見るように何気なく、ぱらぱらっとめくり、春の星座のページを探した。
全天の星空の写真が大きく掲載されている。
そしてめぼしい一等星や星座、春の大三角形のこと。
おとめ座のスピカは有名だ。ボクだって知ってる。
へぇ、星占いのアレとは、違うんだなぁ。
だいちの星座(しし座)も春の星座だ。
そういえば流星群って見れたりしないのかなぁ。
好奇心のまま、毎年日本で観測される流星群が掲載されているページを開いた。
…お、しし座流星群は聞いたことがあるぞ…って、えー?11月って、なんで?しし座は春の星座じゃないのか!?しょうがないなぁ…あ、でも4月下旬はこと座流星群が見れるのか。
下旬っていっても…今年はいつが極大なんだろう?
パームトップをすぐさま起動し、こと座流星群について、ググったり、メモしたり。
調べること自体が楽しい、という知識欲に半ば乗っ取られ、隣に座る彼がコーヒーを啜った後ずっとこちらを眺めていることなど気づきもしないボクは、目を輝かせたり、ちょっとニヤっとしたりして百面相だったと思う。
なけなしの理性は風の前の塵に同じ。いわば野生の状態。
「とわって、知ったかぶりしたりカッコつけたりしないよなぁ」
へ?
耳に飛び込んできた自分の名前に、天空を駆け抜ける風のようになっていたボクは呼び戻され思わずマヌケな声を出してしまった。
(そして、彼をちょっとほったらかしにしたことにも気づくが、これは言わないでおこうと思った。)
まぁ、確かに。
カッコつけてもどうしようもないところだしな。
「いや、だって、知らないモンは知らないし」
知らないことは、これから知ればいいだけのことだと思うから。
顔を上げたボクは、柔らかく微笑んでいる彼と目が合う。
「そういう自然体なところがとわの良いところだな」
そして、まるで小さい子に「いい子いい子」とするように、その大きな手のひらでボクの頭を何度もなでた。
──え、えぇ?!
ボクは目を白黒させ、瞬間湯沸かし器のように、頬はおろか、耳まで真っ赤に染まるのを自覚した。
見た目の所為か、はたまた育ってきた環境の(ホケホケしてる母親のおかげかなぜか「しっかり者の長女」で通っていた)所為か。ボクは子ども扱いされることに慣れていない。
誰かの頭を撫でてやることは何度かあっても自身が撫でられるという行為は、あまり縁がなくて、正直なところを言えば、内心かなり狼狽えていた。いったい、どんなカオをしていいのやら。
けれど不思議と感じたのは、頑なだった心がふっと溶けてしまうような安堵感で。
ボクは、視界がじわっと潤んだ。
そして、ボクは悟る。子供扱いされることによって生じた動揺は、自分が彼にとって「守るべきもの」として慈しまれているという実感にすり変わったのだと。
彼の傍に居るようになってから今までに、もう何度もボクに訪れてきた実感のひとつ。
嬉しくて、でも、心がこんなふうに溶けてしまうときは、照れくさくてどうしようもなくなる。
そうして素直になれないボクは決まってちょっとズレたことを口走ってしまうのだ。
「……星の名前とかより二人で見ることの方が大事じゃないかと思うっ」
星座の名前を調べるために本を広げた自分の行為を、真っ向から否定してしまった。
──あーあ、相変わらず残念だな、ボクは。
そして、ふ、と小さく苦笑う。
実際、星の名前を知ったからと言って、その星の輝きは変わらないけれど。
その瞬きを指さしながら二人で空を見上げたら、その星の名前と共にその瞬きも「二人の幸せな想い出」のひとつとして、胸に刻まれるような気がするのだ。
だからボクはその想い出となる未来のために今日、星の名を知ろうと思った。
ただ、それだけのこと。
PR